記憶の改ざん ―宮島、そしてロリータ―
先日、広島出張時、駆け足で宮島に行って来た。
予定していたアポイントが急きょ中止になり、
ぽっかり空いた半日で往復したのだ。
宮島には10年近く前に行っている。
海がとてもきれいで透き通っていて、
ふぐや魚が泳いでいるのが間近に見えたこと、
鹿がおっとり歩いていたのが印象的だった。
今回行って驚いたのは、
思ったより陸から距離があること、
上陸してから厳島神社までも、記憶よりずっと遠いことだった。
写真やポスターの印象によって書き換えられたらしい。
いつの間にか、宮島は陸から歩いて渡れるくらいの距離で
有名な赤い鳥居もすぐ見えるところにあると、
記憶が変わっていたのだ。
ビジネス書や実用書を読むのに疲れ果て
美しく、緻密で、完成された世界の読物が無性に読みたくなった。
- 作者: ウラジーミルナボコフ,Vladimir Nabokov,若島正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: 文庫
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20年くらい前と10年くらい前に読んだと思う。
(幻想の少女に恋した男の哀れな恋愛小説であり、推理小説であり、
読者をだますトリック満載で腹立たしくもあり、数多くの伏線が敷きつめられ、
そしてやはり、切ない愛の小説である)
読み返すと、やはり記憶と違う事がたくさんあるのだ。
小説のラストで少年少女が歓声をあげて遊んでいる姿を
ロリータ(ドロレス)と重ねあわせる、というシーンが
ロリータが自転車に乗って山を下っていくのを思い浮かべて
泣く、という情景に違って覚えていた。
小説はこういうことはよくある。
それにしても、記憶って修正されやすいものだ。
自分の中で確固たる思いで覚えているつもりでも
脳内で編集されたり変換されたりして、違うものに変わっていくらしい。
今覚えている、「自分」と「自分の記憶」というものは
結構不確かなものかもしれない。
自分というのも、案外一貫性のないものだと知る。
今の自分が過去の自分と、まったく同一の人間だ、
という保証はどこにもない