レニングラードのマルチーズ

今から20年以上前の話、1980年代のことです。
ソ連(という国名だった)のレニングラード(現ペテルブルク)を
観光していました。

社会主義国だった当時、極めて治安が良好で、
まるで町全部が美術館のような街並みのあちこちを
ドストエフスキーが住んでいた家など訪ね、1人で歩き回りました。
そのうちすっかりくたびれて、目についた一軒のカフェに入りました。
ミルクの入ったコーヒーとペリメニ(ロシア版餃子)を食べ、ホッと一息。
空腹も落ち着いて、ふと半地下にあるこの店の入り口に目をやった時のことです。
高齢とおぼしきおじいさんが、杖をついて入って来ました。
足下には一匹のマルチーズ
リードなど無いにも関わらず、おじいさんが一歩一歩階段を降りるのを、
一段先に降りて待っている。
一段降りるたびに心配そうにおじいさんに目をやり、自分も階段を降ります。
それはまるで保護者の態度でした。

日本で見かけるマルチーズといえば
一時期の流行で多く繁殖された、決してお利口とは言えない
キャンキャンとヒステリックに吠える愛玩犬という印象でしたから
若かった私の脳裏にはこの、小さな犬と人の間に結ばれた強い信頼と
対等な関係が深く記憶に刻まれました。

感激しながらみて歩いたレニングラードの景色はほとんど忘れてしまった今も、
あのおじいさんとマルチーズがゆっくり階段を降りて来た光景が
目に浮かびます。