心に残った記憶

今日の歌舞伎座

建設途中の今日の歌舞伎座。病床でどれ位、この舞台に立つことを夢見ただろう。 息子と孫と、三人で立つ舞台。中村勘三郎、享年57歳。 私の中では今でも若い日の勘九郎のままだ。

ところ変われば花も変わる

同僚男性が結婚前、現在の妻の自宅に遊びに行くとき 「殺風景な部屋だから花を買っていこう」と菊の花を持っていきました。 それから15年。 夫婦喧嘩の折には「あのとき菊の花なんて持ってきて」と いまでも責められるそうです。このエピソードのように、 日…

ピアス・ホール

ピアスホールを開けたのは6年位前のことだ。高校時代からの友人がガンで闘病生活の果てに亡くなった。 そのとき彼女のお父さんから形見分けとして贈られたのが 写真のピアスだった。当時はピアスホールがなかったのでしばしネットで情報収集し、 一晩考えて…

いつかは

いつかは誰でも一人になる日が来る。

思いがけない理由で歯の治療をしたこと

実家近くに、40年位通っている歯医者があります。 医師はちょうど、自分の親と同年齢で いつまで診察してもらえるか、不安なところです。なにしろ幼稚園の頃から通っているので、診察時はずっと 「△△ちゃん」と名前で呼ばれていました。 ここ20年ほどはさす…

さくら、さくら

あと何回、大事なひとと一緒に桜が見られるだろう。

九州から東京のビルの17階まで来たイモムシ

ある平日の午前中のことです。 部下に呼ばれて、打ち合わせコーナーで成果物のレビューをしました。 1時間弱位、話していたでしょうか。 終わって自分の席に戻った時、 机の上に何か茶色っぽい、1センチ位の細長い形状の物がありました。机は真っ白で、今時…

持ってて良かった・・・紀伊国屋のお弁当@東京駅

[[]] 先日、大阪出張のため 朝九時過ぎに東京駅を出発する新幹線に乗っていました。東京駅を出てちょうど1時間ほどたったとき。 駅でもないところで停車してしまいました。なんだ?と読んでいた本から目をはずし あたりをみまわしていたところ 「線路に立ち入…

嬉しい、気持ち ー千疋屋のイチゴタルトー

5ヶ月ほど仕事で伺っていたお客様から 千疋屋のイチゴタルトを頂きました。 ご家族に買って帰ったら好評だったからだそうですが、 「自分で食べてみて美味しかったから」 「○○さんにもあげたいと思って」 と云うところに感激。お若くはない男性、というか経…

あてなきもの こどもがいちごを食べる姿

いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる (枕草子 第40段)いまじゃ生意気なガキですが。

仕事で嫌なことがあったとき

自分が面倒見てもらったことは忘れる。 誰に対しても不満だけが残る。 仕事で身近な人間の、そんな態度に出会ったとき やりきれない気持ちになる。 心がざわざわする。 無力感と後悔に包まれる。そんなとき、家族のありがたさが身にしみる。 いてくれてよか…

スカートをはいたおじさん

時も場所も詳細は伏せます。会社のお昼休み、当時同じフロアの女性社員10人くらいで 一緒に昼食を食べていました。 仕事の話やたわいのない噂話、世間話をしながら食べるわけですが 中には都市伝説みたいな話や、 心霊写真の真偽などが昼食ネタとして流行っ…

「ふつう」のおじいちゃん

ある年の母の日。 実家近くで外出していた私の前を、 小学生の男の子と幼稚園くらいの女の子が手をつないで歩いていました。男の子の手には透明のセロファンにくるまれた、1本の赤いカーネーション。 どうやら、母の日の贈り物を兄妹で買いに行った帰りのよ…

静かな、黒板のはなし

20年以上前のことですが 高校に入学し電車通学がはじまるとき、地元の駅前に或る 自転車の駐輪場を借りました。 市営の駐輪場はちょっと遠いので、 個人の経営する駐輪場です。この土地の持ち主で、管理人でもあるおじいさんは聾唖のかたでした。 奥さんも耳…

朝ドラの周防さん

仕事で移動中の地下鉄の中、 隣に座る50代くらいの主婦2人の会話。 ()内は私の心の中の言葉。主婦A「あの周防さんがいいのよねえ。無口で誠実そうで」 (「カーネーション」の綾野剛のことだね) 主婦B「うんうん。」 主婦A「長崎弁が素朴で」 (方言が誠実さを…

道を知っていることの安全と自由

年明けから事業計画作りで他のことが手につかない中、 (でも本は電車の中で読める) 夢中になって、しかしあまりに面白くて読み進めない一冊。 (示唆と含蓄に富んだ内容なので、つい色々考えてしまう)できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと作者: …

とっさに日が暮れる

私が小学校3年か4年の国語の時間のときのことです。 教科書にでてきた形容詞を使って短文を作る、 という問題が単元ごとにありました。たなかくみこちゃんという女の子が担任の先生に指されて 「"とっさに"という言葉を使って何か文章を作ってみて」 と言わ…

ブログを書くことからみえてきたもの 今年の振り返り

●仕事について3月11日、震災が起きた時、私は大型案件のやりくりまっ最中でした。 他のことは何も考えられずとにかく無事案件がゴールにこぎつけることを 目標に過していました。案件は無事完了しましたがそのあとにやって来たのが長い停滞期です。 焦りまし…

一歩前進

[73歳になる母は一昨年4か月ほど入院しました。 無事帰ってきましたが、この年齢での入院は いろいろ生活困難な後遺症が伴います。入院生活の前半、意識もはっきりせず動けなかったため 退院後は手の指やひざ、足の関節等が動かなくなっていました。 それ以…

言葉がなくても

1.子供の場合 今から十数年前のことです。 季節は12月、私と母はこたつに入ってテレビを眺め 姪が私に抱っこされていました。 なんとなく、姪に「みかん食べる?」と聞いてみました。 当時生後11ヶ月、まだ歯は生えておらず、言葉もしゃべりません。 暇だった…

きれいな色の服を着せるひと

かれこれ20年ほど前のことですが、当時都営新宿線を通勤に使っていました。 小田急線の新宿駅をおり、7時半ごろに乗り換えていたのですが、 都営新宿線を降りて逆に別の路線に乗り換えていく若い男性と、 毎日すれちがいました。 男性は白い杖をついていまし…

宮城の酒蔵・一ノ蔵からの手紙

宮城の酒蔵・一ノ蔵に「ひめぜん」を注文したところ 注文のお礼と復興状況に関する丁寧な手紙がついていました。 地震から38日後には酒造りを再開したとのことですが 破損商品は2万本、屋外タンクの敷石が崩れ今期の仕込みを諦めかけたことも あったそうです…

レニングラードのマルチーズ

今から20年以上前の話、1980年代のことです。 ソ連(という国名だった)のレニングラード(現ペテルブルク)を 観光していました。社会主義国だった当時、極めて治安が良好で、 まるで町全部が美術館のような街並みのあちこちを ドストエフスキーが住んでいた家…