気仙沼行き -1- つばき会の皆さまに伺った話


気仙沼の旅館やホテル、商店の女将さんが組織する団体「つばき会」。
元々は地域の振興や横串の活動を中心にしておられたようですが
震災後は復興支援のために、様々な対応をされているよう。

今回は旅程2日目夜の座談会に3名お越しいただき
また市内視察のバスの中でのガイド、盛屋水産さんや斉吉商店さん
など伺った先々で、お話を伺うことができました。
以下は座談会で伺った内容です。

地震の時、共に主催するバレエ教室の発表会の打ち合わせで
友人と海沿いのファミリーレストランに行た。
地震の直後、店から店外にいったん出るようにいわれ
避難の放送が聞こえるなか、支払いを済ませて避難するように言われた。
しかし停電でレジが使えず手計算のため、とにかく時間がかかり長蛇の列。
間に合わないかも、とお金をおいて車に戻ったが道路は渋滞。
途中から一方通行の道を逆走して高台に逃げた。

小学校〜大学の子供達は学校やバイト先にいて無事、
家族は助かったが、家業の重油タンクが破壊したことが
火事の要因になったのかもしれず
避難所生活の中でもとてもつらい思いをした。
津波から逃げて、翌日片づけに戻ったらすっかり焼失していた家もあったから。

地震の揺れ、津波、そして火災で、気仙沼は壊滅的な打撃を受けた。

避難所では最初食べる物もなかったが
徐々に窮状を知った友人が届けてくれたりした。
しかし被災当日は緊張と不安や不安でおなかもすかなかった。
その後弟夫婦の部屋に避難し、しばらく過したが
自分たちの家に戻りたいと帰宅。

家財やがれきは自力で片づけたが家じゅうに入った土砂が
片づけても片づけても小さな隙間に入り込んでいてきりがなく
ボランティアの手を借りた。
どうにか片づけをし、2階の子供部屋に小さな水道設備を設置し
カセットコンロで煮炊きの生活が今も続く。

家が建設業も営んでいるが、被災者の家の再興が追いつかないため
自宅の再建はあとまわし。

亡くなった友人のお母さんがバレエ教室の復活と追悼公演を望むと言ってくれた。
社会的にも許されるのかと、考えて来なかったが
このお母さんの勧めと思いに応え、現在はバレエ教室を復活させた。

物より命が大事。
とにかく命を最重要視して逃げる。
物はそんなに無くても生きていける。
命より大事なものはない。」

子供の賞状を胸に抱いて亡くなっていた人、
車に金庫や子供の毛布など積んで亡くなっていた人。
物はいらない、とにかく命を優先する、と皆さんおっしゃられていました。

つばき会の皆さま。
手厚くおもてなし頂きありがとうございました。
想像も出来ないほどのつらい記憶や重たい課題を背負いながら
明るく、強く、明日へのエネルギーに満ちて語って下さる、
その強さの秘密は何なのでしょう。

現実の生活に根差した、密な言葉と文脈の数々。
こちらの言葉と情報の空疎さと比べ物にならない、
気仙沼の女性の存在感とパワフルさを感じたのでした。