気仙沼行き -3- 日本の若者たちの有望さについて


気仙沼でお会いしたのは強く美しい地元女性陣だけではありませんでした。
震災から1年経過した今も現地に留まり復興支援を続けている
若者たちに会う事が出来たのです。

盛屋水産さんでお会いしたのは
大学を休学し、気仙沼でくらしながらボランティア活動をしている大学生。
大学にいたら授業やコンパやサークルや普通に過ごしていただろうと笑います。

「なぜ休学してまで、ここに」お聞きすると
普通の大学生活を送っていては体験できない、
小規模で貴重な、コミュニティとの密な関係を経験出来るから
と答える。

彼らは自分自身の言葉を持っている。
とても身の詰まった若者が育っている。
なんだ、ここに良いか者たちがいるじゃないか
と驚いたり嬉しくなったりしました。

自分の日常生活の中だけだと
若者といえば、就職難、画一的なシューカツ対応、ゆとり世代といった印象が強い。
経済的にどんどん厳しくなる社会の要求の中で
安定した大企業の狭き門をどうにかくぐろうとその規格にあわせる受身の態度。
大人びているような、委縮した考え方のような。

しかし気仙沼にいたのは、自分の頭で考え、立ち、行動している若者たちでした。
こんな若者達にあえたのは僥倖以外のなにものでもありません。