変わるものと変わらないもの -映画・アーティスト-


ちょっと前のことですが、今年のアカデミー賞主演男優賞をとった映画、
「アーティスト」を観ました。

無声映画のスター俳優がトーキーへの転換の中で落ちぶれていく様子と
逆に無声映画でエキストラだった女優が脚光を浴びてスターとなり
人気を博していく姿が対比して描かれていきます。

象徴するのが撮影所の階段を下りていく俳優と、
上っていく女優が踊り場で会話するシーン。

落ちぶれた俳優の家具や美術品を買い取り、
火事で大怪我を負った俳優の看病をする女優。
しかしそれに気づいた俳優は更にプライドを傷つけられと感じ
自殺を試みます。
何とか再起させようと奮闘する女優が見つけた方法が
ミュージカル映画」に出演させることでした。

台詞をしゃべるのではない。
ダンスは無声映画でも重要な要素だったもの。
それを活かして、ミュージカル映画を製作し二人は成功を得るのでした。

この話には「変わるもの」と「変わらないもの」が存在しています。
無声映画の関係者はトーキーを非芸術的と馬鹿にするが
観客はトーキーの魅力と面白さに移っていく。
無声映画の需要は無くなる。
時代が変わればニーズも価値も、それを満たす要件も逆転する。
一方、状況が変わっても変わらない価値もある。
それがこの場合の歌やダンスの能力です。

時代の変化にさらされ、状況が180度変わったとき。
そのときどうするか。
変化を否定して自分は何も変えずに落ちぶれていくか。
過去の成功体験に縛られず、自分のスキルを棚卸しして
新しい環境の中での自身の価値を見つけるか。

犬の名演技も話題になりましたが
映画そのもののプロットも面白かった。

毎日、シャープやNECの経営危機を耳にする中で
「変わるもの」と「変わらないもの」にどう対応するか、
変わらない価値とは何なのか。
観ながら思いを巡らしていました。