「開店休業」 食べてきたものの味と記憶のギャップについて

開店休業

開店休業

甥が小学校低学年の頃、昼食兼おやつに
よく小さな塩むすび(おにぎり)を作ってやった。

なぜか具を入れないでくれ、梅干しも嫌いだと言うので、
塩とのりだけのおにぎり。

お酒が入るとごはんまで行きつかないことも多い我が家では
私はよくおにぎりを作る。
作り慣れているせいか、妹と作り方が似ているのか
甥はことのほか、おにぎりを喜んだ。
「どうやって作ったの? どうしてこんなにおいしいの?」

ご飯と塩と海苔のシンプルなおいしさと、
食べたい時に食べたいものを食べるおいしさが相まって
味の記憶は強く固定される。

大人になると豪華なものから珍味までいろいろ食べる機会は増えるし
自炊から外食まで基本的には自分の意思一つで決められる。
海外旅行での食べたことのない料理から、温泉旅館の多数並んだ料理まで
年齢に連れ経験は蓄積される。

しかし、特に子供の頃の味の記憶は
深いところに留まっていつまでも強く反芻されるのだ。


最晩年の吉本隆明氏が、子供のころから、大人になり所帯を持ってからの
様々な食べ物にまつわる記憶を綴った本書。

挿入される長女のハルノ宵子氏のつっこみ混じりの追記と修正が
長年ご両親の世話をし続けた立場からの愛情とこまやかさも加わって
とても味わい深い。
そして読みながらおかしくてたくさん笑う。

「父にとって「三浦屋の肉フライ」は、何の心配も無く、
力強いお父さんと優しいお母さんに守られた時代の、
輝くような幸せの味だったに違いない。」

誰しもそうした食べ物があるだろう。
それは実際の味の記憶をはるかに超えるおいしさなのだと思う。

本書にも吉本氏が小さい頃、母が作ってくれた
おにぎりのエピソードが出てくる。

うちの小僧も、いつか私が作ったおにぎりの味を思い出すだろうか。