「震災」後、備えるようになったもの

震災を契機にiPad2を購入しましたが、
同様の、生活で変化した点を書いておきます。

1.懐中電灯、ラジオ
ベッドのすぐそばに小さなラジオと懐中電灯を常備しました。
時々動作確認します。

2.メールアドレスの追記修正
家族の携帯にniftyと会社のメールアドレスを追加しました。
災害時どのルートがつながるのかわからないため。
更に両親の携帯アドレス帳に、家族の名前に属性情報を追記しました。
「長女」「次女」「孫」「義弟」など。
以前会社の同僚に、親が大怪我した際アドレス帳の登録が「名前」だけで
誰に連絡すればよいかわからず連絡が遅れた、という話を聞いたためです。
(この場合は遠方の親戚に連絡され、そこから娘の携帯にかかったとのこと)
「ひろし」とか「りょうこ」だけでは、友達か家族か判断できないので。

3.日用品のストック
水、お米、インスタント食品は一定量を保つようにしました。
(必ず1つストックがあるようにする)

4.中長期プランとして
震災だけの話ではないのですが、なるべく物を片付けるようにしました。
それと保険の証書とかも古いものや契約終了したものは整理し
緊急時、家族がみてわかるようにしました。
もう少し整理したら簡単な目録にして妹に渡そうと思っています。
被害の低減はまず物を減らすことからだと思います。

5.その他
「災害がほんとうに襲ったとき」という神戸の震災時の記録には
「電話、ファクシミリ、コピー」で勤務先に指示を出したとあります。
そして今回の震災時情報共有の手段になったのは
SNS、インターネット、携帯電話」でした。
高齢化社会においても、ネットは大きな役割を果たすインフラになると思います。
(入院時、家族全員の重要インフラとなった携帯メールの話は前述しました)
20年後、30年後はタブレットPCなども、
もっと便利で使いやすいものに変化しているでしょうね。
銀行も、買い物も、通信も、写真などの置き場も
みんなネット越しに行われているだろうなと思います。
それを前提に私たちのリテラシーも、構築/提供するサービスもレベルアップ
していく必要があるんでしょう。


災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録