静かな、黒板のはなし


20年以上前のことですが
高校に入学し電車通学がはじまるとき、地元の駅前に或る
自転車の駐輪場を借りました。
市営の駐輪場はちょっと遠いので、
個人の経営する駐輪場です。

この土地の持ち主で、管理人でもあるおじいさんは聾唖のかたでした。
奥さんも耳の不自由な方でしたがとても仲の良いご夫婦で、
時々は二人で管理人室に座っておられました。
耳がご不自由ながらも、駐輪場を経営管理するという仕事を
きちんとやっていこうという意欲が感じられ
てきぱき仕事をしておられました。

半年に一回ほどまとめて駐輪場代をお支払いするとき以外は
あまりお話しすることはありませんでした。
こちらは高校から大学と進学し、社会人となり
通う先はその都度変わりましたが
相変わらずそのまま借りていました。

実家を離れて一人暮らしを始めるとき
もう借りなくても良いかな、と思いましたが
良心的な金額なのでそのまま借り続けました。
そんな時間の経過の中で徐々に、
オーナー兼管理人のおじいさんが年をとっていかれる様子が
目に付くようになりました。

奥さんを車いすにのせて一緒に管理人室にいる姿を
しばしば見かけるようになりました。
近所の自転車やさんにきいたところ、
奥さんが認知症となり、目を離せないので
一緒に連れてきているとのことでした。

以前は毎日管理人室に来ていたのが月末しか来ないようになり、
そのうち月末も来なくなって
しばらくお支払いが出来ない時がありました。
こちらも毎日使っているわけではないので
タイミングが合わないのか、それとも具合が悪いのかしら
と心配していました。

そんなとき、やっとおじいさんが現れたので
管理人室をノックしました。
「お見かけしないので心配していました。お体、大丈夫ですか?」
なるべくゆっくり、声をかけました。

おじいさんは、管理人室の壁にかけてある小さな黒板に
チョークで書きました。
「妻が死亡」
だから、来られなかった、とゆっくり発声されました。

どんなご夫婦だったか、具体的に知っているわけではありません。
しかし、声を出しての会話はない静謐な空間ながら、
暖かい信頼関係が空気として漂うご夫婦でした。
耳が聞こえない、という同じ世界に住む同胞であり
お二人で助け合って生活している、欠かせないパートナー
という雰囲気が色濃く漂っていました。

「残念でした。お体をくれぐれも大切になさってください」
と言って、支払いをして帰りました。
これがお会いした最後でした。

それから1年くらいして、おじいさんは亡くなりました。
駐輪場は取り壊され、マンションになりました。

15年位借りていたのに
お話したのはほんのわずかでした。
でも、お二人の仲の良かった様子と、
おじいさんが悲しくつらい言葉を淡々と黒板に書かれたあのときの静かな情景が
今でも自分の中である種の感情を喚起する記憶として
強く印象に残ります。