言葉がなくても

1.子供の場合
今から十数年前のことです。
季節は12月、私と母はこたつに入ってテレビを眺め
姪が私に抱っこされていました。
なんとなく、姪に「みかん食べる?」と聞いてみました。
当時生後11ヶ月、まだ歯は生えておらず、言葉もしゃべりません。
暇だったから反応を期待せず聞いてみただけです。

私の問いかけに姪はぶんぶんうなずきました。
みかんが食べたいようです。
歯が生えていないので、みかんは一つ一つ小袋からはずさないと
あげられません。
しかし彼女は喜んで、むいたみかんを次々口に運びます。
結構手間がかかるので、母と二人がかりで剥いても
食べるのに追いつかなくなりました。
すると彼女はコタツの上に登り、テーブルをたたいて催促するのです。
「もっと早くむけ」と。

騒ぎの最中、妹がやってきて
「あーあ、みかんなんてあげたらきりがないのに」
といいました。
先に言ってほしかったよ。

2.動物の場合
土曜日、私が着替えて化粧するとうちの猫は走って隠れます。
病院に連れて行かれると知っているからです。

いくら探しても見つからず、
やっと見つけたのはベランダに設置してあるエアコンの室外機の下。
本人はもぐって隠れているつもりが丸見えで
病院に連れて行かれるのが怖くて震えていた、という笑ってしまうような、
可哀想で泣きたい様なこともありました。

同様の場面で、病院ではなく法事に向かう支度をしていたときに
やはり自分が病院に連れて行かれるのだと思って
押入れに隠れていたこともあります。

そのとき家族や猫に向かって病院の話をしていたわけではありません。
ただ外出のしたくをしている、それも楽しくないところに行きそうだ
という気配を察してのことです。

どちらも言葉をやり取りしての意思決定や行動ではありません。
いずれも言葉でコミュニケーションしない存在です。
それでも完璧に意図は伝わるのです。
ノンバーバールコミュニケーションの威力を、子供と動物は教えてくれます。

[言語の発生起源は鳥の求愛行動らしい]

言葉はなぜ生まれたのか

言葉はなぜ生まれたのか